病は気からってホント!

ストレスから体調を崩し心療内科、関節リウマチ、多発筋炎、それらの代替療法、入院記録の覚書です

操体法サロンえがおにいきました

昨日、仙台市内にある操体法サロンえがおへいった。
下道を走って、3時間。
初めてなので、EFTと操体法両方をしてもらうコースでお願いした。
最初EFT。
お父さんがなくなったときの出来事にまだ縛られている自分を解放し、許し、体調がよくなり楽しく仕事が出来る自分を望んだ。
更年期の意味を聞いて、それが胸に響いた。
女性は、出産という大仕事をしたご褒美に、人生50年といわれていた先の寿命をいただいたのだが、それをいただくための山なのだそうだ。この山を越えることで、更に年を重ねることが出来るのだという。
帰り道車の中で、急にこみ上げてきて「この山を乗り越えて、更に楽しく元気に年を重ねるぞ〜!」と泣きながら叫んだ。

操体法は、不思議な施術で、一言で言うと、体のゆがみをとる施術なのだけど、首は確かに楽になった。でも、右腕から背中にかけての痛みは、まだ残っている。
「どうせ、またパソコンでマウスをいじれば腕が痛くなるだろう」と、頭で思ってしまうことも良くないのだそうで、脳がそれを感じて痛みを作ってしまうのだそうだ。
そういう話は、テレビでも見た気がする。

EFTは、自分の周りの人には相談できない、第三者だから話せるということがいいのだと思う。人に話すことで、自分の気持ちも開放されるし。
EFTは自己暗示の方法だと思うけれど、自己暗示って大事。

お父さんがなくなったときの葬儀屋の手続きなど、主要なことをお母さんと妹で済ませてしまったことが、まるで子供のときにお母さんが妹を可愛がっていたことに対してやきもちを焼いていたことに重なって、自分に相談してもらえなかった寂しさとなって、でも、二人が好きだから口に出すことも出来ず、言いたいことがのどにつかえていたのだと思う。それが、梅気となり、呼吸ができないことに繋がっていったのだと思う。
それは、自分でもわかっていたことだけど、周りの人には相談できない。自分のわがままだといわれて、ジ・エンド。目に見えている。
三者はそれをじっくり聞いてくれる。わたしがほしいのは不安を消す薬ではなく、カウンセリングなのだと、改めて強く思った。じっさい、薬なんて最初だけで、また、効力がなくなってきていたのだから。